2016年02月27日
相手の心を理解しようとする思いが、愛の見返りを引き寄せる。望まれない愛を押し付けるから、不安と心配を引き寄せる。
これっぽちも欲しいとも思っていなければ、望んでさえいない。むしろ不要だとさえ思うものを与えられても困るだけ。
しかもそれが、その人の心からの善意というやつであれば、なおさら困るというもの。断りづらいし、NOとも言いづらい。
■押し付けの愛はありがた迷惑大きなお世話。
これっぽちも欲しいとも思っていなければ、望んでさえいない。むしろ不要だとさえ思うものを与えられても困るだけ。
しかもそれが、その人の心からの善意というやつであれば、なおさら困るというもの。断りづらいし、NOとも言いづらい。
そりゃ確かに、こちらのことを考えてくれてることや、気を遣ってくれてることについては、ありがたいとは思うもの。とはいえ、困ることには変わりない。不要なものを押し付けられても、それこそありがた迷惑というやつでしょう。
心では笑顔で受け容れているようで、腹の底では困惑するか、イライラが募っているだけのこと。
私はあなたのためを想ってこうしているの。と言われたところで、別にそうして欲しいなんて思ってない。勝手にそうして押し付けられても対処に困る。
俺はお前のためにこれだけのことやってんだ。と言われたところで、だったら何よ?アンタが勝手にそうしたことに、応える義理くらいはあっても義務なんかどこにもない。
基本はまず自分から与えること。これ基本。でもそれは、自分の与えることと、相手の望みとが合致することが大前提。相手が喜ばないものを与えても、喜ぶどころか渋い顔をされるだけ。鬱陶しいと思われるだけ。
だから、内容問わずに、与えさえすれば返ってくると思ったら、そんなワケありませんよ。望まないものを与えても、返ってくるのは望まない結果なんです。
要するにね、その与える行為が誰のためかってことなんです。本当に相手のためを想うなら、相手の望みを想像し、必要に応じて相手の声に耳を傾ける。真剣にその人に向き合うから相手の望みが見えてくる。
それすっ飛ばして、自分が与えたいから与える。ってそれは単なる自己都合の自己満足。おまけに返ってくるのは相手の困惑顔。それで自分もがっかりする一人相撲。
何よりも、それは相手のことよりも、相手を通じて自分に返ってくるであろう見返りへの期待。損得勘定を考えてるからでしょう。その期待と執着を手放さないと、同じことの堂々巡り。
<参考過去記事>
大切な人への見返りを求めないから、大切にされる。執着を手放せるほどの想いが、双方向での愛を引き寄せる。
そんな自己都合の押し付けで、何か返ってくるんじゃないかと期待したところで、何も返ってきやしませんよ。こんなに尽くしたのに、どうしてくれるの、なんて嘆いてみたところで相手にしてみりゃ知ったことじゃないでしょう。
まずは相手に真正面から向き合うことでしょう。相手の求めていることを知ることですよ。自分の喜びは横に置いておいて、相手の喜びがどこにあるかを考えることからでしょう。
逆の立場になって考えてみりゃ、わかること。求めていないものを押し付けられて、おまけにその見返りまでを要求されても理不尽さしか感じない。
自分の求めているもの、自分が望んでいるものを与えられたとき、あ、この人わかってくれてるんだ。そう自然な思いが生まれるというもの。だから返したいと感じるものでしょう。
それは物質的なものに限った話しじゃない。日常の言葉や態度、ふるまいなどすべてに共通の、気遣いという範疇のことも含むあらゆることに対してですよ。
だからこそ、相手と真剣に向き合い、その人が求めていること。その人が喜ぶことを考える。そしてそれを理解した上で、見返りなんか期待せず、結果に執着せずに与えればいいんです。
その人のために力を尽くしているのに。あの人に愛を注いでいるのに。まず自分から与えているのに、何も返ってこなくて苦しい。そう泣き言を言う前に、ほんの少し立ち止まって考えてみればいいんです。
自分のその言動は、相手が求めていることと合致しているだろうか。自分のその言動によって、相手が心からの喜びを感じているだろうか。単なる独り善がりに陥っていないだろうか。と。
いろいろと気持ちが焦ったりすると、結果を急ごうとするあまり、そして失う不安や恐れを感じるあまり、つい相手の想いを置いてけぼりにしたまま、独り善がりの押し付けをしてしまいがちになる。
でもね。結果を急いだところでダメなもんはどうせダメ。だから焦らなくていいですよ。ゆっくり腰を据えて相手と向き合えばいいじゃないですか。
そのプロセスをすっ飛ばして、自分のひとりよがりで、とにかく何かを与えようとしても、受け容れてなんてもらえない。すると押し付けがますますエスカレート。やがて相手にブチ切れされて、最後は決裂。さようなら。
押し付けで他人の心を支配しようとしたって無理なんです。だから期待も執着も手放してしまえばいいんです。
<参考過去記事>
他人の心を支配しようとしなければ、執着から解放され愛を引き寄せる。付き合い方を変えれば、大切な人との関係はグッと深くなる。
それが自分にとっての愛だとしても、相手の求めに合致してなければ、それは独り善がりに過ぎない。それは誰も受け取りたくない。受け取らない以上は何も返したくなんてならない。
まずは相手と真剣に向き合い、お互いの理解を深めるという、ごく当たり前のプロセスを踏むこと。それを焦ってすっ飛ばさないこと。それだけのことで、与えても返ってこないという悪循環から抜け出せるもんです。
相手の立場や相手の人間性に想いを馳せる。その余裕が期待と執着を手放し、求める愛をその手に引きせることになるのでしょうな(^。^)y-.。o○
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心では笑顔で受け容れているようで、腹の底では困惑するか、イライラが募っているだけのこと。
私はあなたのためを想ってこうしているの。と言われたところで、別にそうして欲しいなんて思ってない。勝手にそうして押し付けられても対処に困る。
俺はお前のためにこれだけのことやってんだ。と言われたところで、だったら何よ?アンタが勝手にそうしたことに、応える義理くらいはあっても義務なんかどこにもない。
基本はまず自分から与えること。これ基本。でもそれは、自分の与えることと、相手の望みとが合致することが大前提。相手が喜ばないものを与えても、喜ぶどころか渋い顔をされるだけ。鬱陶しいと思われるだけ。
だから、内容問わずに、与えさえすれば返ってくると思ったら、そんなワケありませんよ。望まないものを与えても、返ってくるのは望まない結果なんです。
要するにね、その与える行為が誰のためかってことなんです。本当に相手のためを想うなら、相手の望みを想像し、必要に応じて相手の声に耳を傾ける。真剣にその人に向き合うから相手の望みが見えてくる。
それすっ飛ばして、自分が与えたいから与える。ってそれは単なる自己都合の自己満足。おまけに返ってくるのは相手の困惑顔。それで自分もがっかりする一人相撲。
何よりも、それは相手のことよりも、相手を通じて自分に返ってくるであろう見返りへの期待。損得勘定を考えてるからでしょう。その期待と執着を手放さないと、同じことの堂々巡り。
<参考過去記事>
大切な人への見返りを求めないから、大切にされる。執着を手放せるほどの想いが、双方向での愛を引き寄せる。
そんな自己都合の押し付けで、何か返ってくるんじゃないかと期待したところで、何も返ってきやしませんよ。こんなに尽くしたのに、どうしてくれるの、なんて嘆いてみたところで相手にしてみりゃ知ったことじゃないでしょう。
まずは相手に真正面から向き合うことでしょう。相手の求めていることを知ることですよ。自分の喜びは横に置いておいて、相手の喜びがどこにあるかを考えることからでしょう。
■相手の求めに合致しているかを見直そう。
逆の立場になって考えてみりゃ、わかること。求めていないものを押し付けられて、おまけにその見返りまでを要求されても理不尽さしか感じない。
自分の求めているもの、自分が望んでいるものを与えられたとき、あ、この人わかってくれてるんだ。そう自然な思いが生まれるというもの。だから返したいと感じるものでしょう。
それは物質的なものに限った話しじゃない。日常の言葉や態度、ふるまいなどすべてに共通の、気遣いという範疇のことも含むあらゆることに対してですよ。
だからこそ、相手と真剣に向き合い、その人が求めていること。その人が喜ぶことを考える。そしてそれを理解した上で、見返りなんか期待せず、結果に執着せずに与えればいいんです。
その人のために力を尽くしているのに。あの人に愛を注いでいるのに。まず自分から与えているのに、何も返ってこなくて苦しい。そう泣き言を言う前に、ほんの少し立ち止まって考えてみればいいんです。
自分のその言動は、相手が求めていることと合致しているだろうか。自分のその言動によって、相手が心からの喜びを感じているだろうか。単なる独り善がりに陥っていないだろうか。と。
いろいろと気持ちが焦ったりすると、結果を急ごうとするあまり、そして失う不安や恐れを感じるあまり、つい相手の想いを置いてけぼりにしたまま、独り善がりの押し付けをしてしまいがちになる。
でもね。結果を急いだところでダメなもんはどうせダメ。だから焦らなくていいですよ。ゆっくり腰を据えて相手と向き合えばいいじゃないですか。
そのプロセスをすっ飛ばして、自分のひとりよがりで、とにかく何かを与えようとしても、受け容れてなんてもらえない。すると押し付けがますますエスカレート。やがて相手にブチ切れされて、最後は決裂。さようなら。
押し付けで他人の心を支配しようとしたって無理なんです。だから期待も執着も手放してしまえばいいんです。
<参考過去記事>
他人の心を支配しようとしなければ、執着から解放され愛を引き寄せる。付き合い方を変えれば、大切な人との関係はグッと深くなる。
それが自分にとっての愛だとしても、相手の求めに合致してなければ、それは独り善がりに過ぎない。それは誰も受け取りたくない。受け取らない以上は何も返したくなんてならない。
まずは相手と真剣に向き合い、お互いの理解を深めるという、ごく当たり前のプロセスを踏むこと。それを焦ってすっ飛ばさないこと。それだけのことで、与えても返ってこないという悪循環から抜け出せるもんです。
相手の立場や相手の人間性に想いを馳せる。その余裕が期待と執着を手放し、求める愛をその手に引きせることになるのでしょうな(^。^)y-.。o○
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