2014年10月02日

自分で自分を認められれば、他人のことは気にならない。自分を認められないから、他人のことが気になる。

■他人のことを気にして得るものなし

誰であれ一人で生きていくことはできないし、そもそもこの世に自分以外の誰かが存在するから、自分という存在も認識できる。

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そういう意味では、人間にとって他人との関係性のあり方というのは、重要なテーマの一つではある。

とはいえ、他人ことばかりに意識が向いて、他人が何をしているか、どう考えているかばかりを優先的に考えているのはちょっと考えもんでしょう。

だって、他人のことなんて気にしたって、それは自分じゃ解決できない。他人の考えや生き方を支配するなんてできないことだから。

にも関わらす、あれやこれやと他人の言動を気にしてみては、イライラしたり不安になったり。精神衛生上も良いことではないし、それ以上に時間とエネルギーの浪費以外のなにものでもありませんわ。

そうなる理由の一番はヒマ。これに尽きる。何らかの刺激もなければ、エネルギーの向けるべき方向もないと、結局のところ手っ取り早いところで他人のことに関心が向きやすい。

そこから生まれるのがどうでもいい噂話しの井戸端会議。
いや、それはそれでたまにはそういうのもいいでしょう。それでストレス解消されてコミュニケーションも深まり、自分にも他の誰かにも迷惑かけないのであれば。

もう一つ。これはタチが悪い。
自分の自信の無さを、他人を攻撃することで補完しようとすること。つまり他人を貶めることで、自分が相対的に上になったような気になりたい自己満足欲求。

人のやることをいちいち気にして口を挟んでみたり、批判をしてみたり。人の意見にいちいちどうでもいい言葉をかぶせてみたり。それができる俺かっけー。あいつにこれ言える俺すげー。みたいな。

<参考過去記事>
困った人への対処法と、自分が困った人にならない方法。

そういう人に関わったときは別にいいんです。相手にせずに華麗にスルーしとけば害はない。あ、この人は自分に自信が無いか、よほどヒマな人なんだね。そう思って間違いない。

問題なのは自分がそういう人になってしまいそうなとき、もしくは自分にそういう兆候が現れはじめたときのこと。


■自分を認められれば他人のことは気にならない

言うまでもないことですが、他人に無関心になれ。一切干渉すべきじゃない。という意味ではありません。程度の問題とそれ以上にその動機の問題です。

その上でどうも他人の言動が気になってしまう。どうもあれこれ言いたくなってしまう。そんな思いに駆られたときには、今一度自分がやるべきこと、目を向けるべきことは何かを考えてみることでしょう。

自分がやるべきことを見失っていなければ、他人のことなど気になりませんよ。そのための行動をしていれば、自分を認められるし、そんな余裕もないはずです。

だから他人のことが気になりはじめたら、集中力が途切れはじめている兆し。自分のやっていることへの自信が揺らいでいる兆し。いま一度、心のスイッチを入れなおしてあげればいいんです。

そしてもう一つ。自分がそこで他人のことを気にしたり、そこに干渉したり、望まれてもいない無責任な意見を述べることで、自分が受け取れる恩恵について考えてみることです。

何もないでしょ。少しくらいは気が晴れるかもしれませんし、自尊心が満たされるかもしれませんが、そんなの一時的で表面的なものですよ。

それよりも他人からウザいヤツと思われ、以後スルー対象となるだけ。積極的な思考の持ち主らは、あなたの言葉を毒ガスと感じて離れていくだけです。

まさに百害あって一利なし。

そもそも自分に自信を持っている、自分の言動を自分で認めている人ってのは、他人のことについて褒めることはあっても、悪口はもちろん、あれこれと無益な論評もしないもんですよ。

<参考過去記事>
どこででも、誰に対しても、人の良いところを話してくれる人は信頼される

まずは他人のことで何か言うなら、干渉するならその人の良いところを。さらに自分のことに集中して、自分で自分のことを認めることができれば、人のことなんて気になることありませんわ(^。^)y-.。o○


今週末は東京でこれ。終了後には二次会も予定。

社団法人感覚刺激と脳研究協会の定例勉強会vol.8 
『心の力で自然治癒力を高める3』
http://www.brossa.jp/vol8/

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