2013年03月05日

つい先日にブログを再稼働することを宣言してから、いやまあいろいろなところから期待のお声をいただいているわけですが、ぶっちゃけあまり期待されても・・・ねえ。

なぜ決められないのか

むしろその期待感に満ち溢れた妄想を、一世を風靡したアトラクション東京サマーランドのフリーフォール(まだあるのかしら)の如く、急転直下で阿鼻叫喚の地獄絵図へと塗り替えることになったところで、当然ながら当方は一切の責任は取りませんので予めご承知おきを。

さて、掲題の話題については、

今さら何を語るまでもないことなので、いちいちここで語るのもどうかと思いつつ、ちょっと角度を変えてのアプローチでも試みてみようかと考える、いわば実験エントリーとしてちょっとアップしてみました。

なので、暇でやることもなく、かといって仕事さぼってると思われると困る方にとっては、最適な仕事してるフリのためのネタとして、お役にたてていただけるかもしれません。

神妙な顔でディスプレイを睨めつけ、マウスかちかち、横に電卓置きながら、誰がどう見ても仕事してるようにしか見えないスタイルでご一読ください。

■なぜ決められないのか

そもそも私たちはなぜ迷うのか、いうことについて考えてみたほうが良いんじゃないかと考えるわけです。

なぜ迷うか、というその理由を細かく挙げればいろいろありますが、大雑把に言えばこんなところでしょう。

1、どっちの選択にも確証的な予測が成り立たない
2、どっちを選択しても問題ない

仮に確証的な予測が成り立っていれば、迷う必要はないですよね。ほぼ成功する予測のほうを選ぶか、ほぼ失敗するほうを選ばなければいいわけです。
話しは早いし答えは簡単。そこに迷う余地はないわけです。

逆に言うと確証的な予測が成立しない以上、迷ったところで意味はあまりないってことになりますわな。

そしてもう一方、どっちを選択しても問題ないという場合。ラーメン食べようか、うどん食べようか迷うようなもんです。どっちを選んでも人生に大きな影響はありません。

迷ったときにちょっと考えてみればいいんです。この選択がどんだけ自分の人生を左右する決断なのかを。そう考えるとほとんど影響なんてないもんすよ。

もちろん、たまたま行ったラーメン屋で、隣に座った異性と劇的な出逢いが生まれ、結婚にまで至るという影響はあるかもしれませんが、そのような不可抗力については何を選択したところで起こる可能性はあるわけです。なので、ここでは無視していいレベル。

ということで、迷うということは、どっちを選んでもどうなるかわからない、もしくは、どっちを選んでも大して影響がないということ。

だったら、自分の好きなほう、楽しそうなほう、いわゆるインスピレーションに身を委ねて「えいやっ」と決めてしまっていいんじゃないかと。

決めて動けば見えてくることもたくさんあるし、動くことによって得られた経験値が、次にまた選択をする機会を迎えたときに、参考になるわけじゃないですか。その経験値はお金じゃ換えられませんから。

もちろん、「えいやっ」がいつでもできるようになるためには、自分が何を好きで、どんな価値観を持っているかを、自分自身で把握しておく必要があるのは言うまでもありません。
さらに、判断の根拠となりえる情報へのアンテナ感度を鋭くしておくことも、日常的に必要なこと。

そうして最後は決めればいいんです。
好きなほう、楽しそうなほうを。

あ、ところで、

『そんなこたぁわかってる。
それでも決断できずにいるんだがどうすればいいのか』

なんて聞かれることもたまにあるので、一言追加しておくと。

そういう人は、そうやって「決断しない自分でいることを決めてる」ってことなのでしょうね。言うなれば決断しないで迷ってる自分が好きなんです。
表面的にはそうじゃないと言われるかもしれませんが、結果的にはそうなんです。

それが良いとか悪いとかじゃなく、最終的には自分にとって何が適しているのか、ということだけですから。
とにかく決めて行動しながら、多くのことを積み上げていくのか。それとも迷っている状況を受け容れながら、そうした状況でいるのか。

だから決められないんじゃなく、決めない自分でいることを決めている。ということになるんです。

こればっかりは誰か他人がどうすることでもないので。最後は自分自身と向き合うしかないですよね。もちろんそれは僕も含めて誰でもが。

ちなみに当エントリーのトップに貼ってある画像には、まったくもって意味はありません。

それと、決断力についてもっと詳しく知りたい人は、こちらの本を読みましょう。これは迷う余地なく絶対にソッコーで読んだほうがいい。
  ↓
思考は現実化する

追記 組織や集団における意思決定の一環としての決断については、本項の限りではなく、また別のアプローチが必要であると考えるので、またの機会に。

<了>